丈巌慈航禅師の生涯について

丈巌慈航禅師の生涯について

 字は丈巌、諱は慈航。元和7年(1621)に美濃国武儀郡谷口村の山田家に誕生。当時の社会情勢から考慮し、姓を有していることは、武士又は大地主等、身分の高い家柄の生まれであったと推測される。
 11歳で、山県郡富永村林泉寺、松伯玄長老和尚について出家し、16歳より行脚の途につき北は東北仙台から、南は宮崎県高鍋に至るまで禅匠を求め続けた。途中住職として住山したのは、瑞鳳寺や大池寺を含め数ヶ所を数える。89年間の生涯に、多くの寺を再興及び中興をし、その間、8人もの得法の弟子を育て仏門の繁栄に努めた。
 大池寺には、瑞鳳寺勧請開山清岳宗抽禅師と瑞鳳寺2世奪境玄興禅師の頂相が所蔵されていることから、大池寺にて師匠の毎歳忌を行い、報恩謝徳のつとめをしていたようである。大池寺住山後も、遊方行脚することが多々あり、関山一流の法を諸国にかかげた、隠逸の禅傑である。

(大池寺 『開山録』『古文書』より抜粋)

◆元和 7年(1621)
美濃国武儀郡谷口村山田家にて誕生
◆寛永 6年(1629)
8歳 美濃国山県富永村林泉寺にて松伯玄長により祝髪
◆寛永 19年(1641)
20歳 京都にて、儒書仏書を学ぶ。法常寺に登り一糸文守に参禅。正法山妙心寺では鶻山俊公に参禅妙心寺滞山中の瑞鳳寺二世奪鏡玄與に参禅し、師弟の礼を取る
◆慶安 元年(1648)
27歳 冬、京都を下り、江州蒲生郡小口村、臨川庵にて安居
◆慶安 4年(1651)
30歳 本師遷化、奪境玄與の衣鉢を受け、難波にて安居す。伊達忠宗の請を受け、瑞鳳寺三世とし、住山す
◆萬治 2年(1659)
38歳 伊達綱宗の厳命により、仙台大満寺再興
◆寛文 5年(1665)
44歳 正月18日、瑞鳳寺退山、九州に下り、日向高鍋城下、龍雲寺に住山。
◆寛文 6年(1666)
45歳 龍雲寺に梵鐘を鋳造。10月龍雲寺を退山し、都城に行く
◆寛文 7年(1667)
46歳 2月28日、初めて江州甲賀郡名坂村へ来る青蓮寺を改め、龍護山大池寺と号して住山す
◆寛文 8年(1668)
48歳 後水尾法皇より、白銀百両を賜う
◆寛文 9年(1669)
49歳 5月12日、大池寺仏殿上梁、冬完成
◆寛文 10年(1670)
50歳 大池寺仏殿落慶
◆寛文 11年(1671)
51歳 美濃本巣郡龍峯寺を建立
◆延宝 元年(1673)
53歳 江州甲賀郡南勝寺を再建。美濃瑞龍寺内に瑞雲院を再興。大池寺弁天堂建立
◆延宝 3年(1675)
55歳 大池寺本尊釈迦牟尼仏、修復及び彩色す
◆延宝 4年(1676)
56歳 大池寺仏殿内に達磨像安置。江州甲賀郡上乗寺再建
◆天和 元年(1681)
61歳 美濃本巣郡文殊村金剛山法住寺を再建
◆天和 2年(1682)
62歳 大池寺に井戸”佛母井”を掘る 美濃国、智福山満願寺を再興大般若経を購入し、大池寺の什物とす
◆貞享 4年(1687)
67歳 11月1日林泉寺、玄長和尚の33回忌にあたり、円通妙懺儀十巻を写経し、慈恩に報ず
◆元禄 元年(1688)
68歳 伊賀、加太、浄泉寺に移住
◆元禄 4年(1691)
71歳 浄泉寺を退山し大池寺に帰住
◆元禄 9年(1696)
76歳 8月12日、本師奪境玄與和尚の50年忌を行う
◆元禄 10年(1697)
77歳 大池寺内に「夢住軒」を建立し隠居す
◆宝永 5年(1708)
88歳 春、江州瓦屋寺小鐘の銘を作る。12月17日、大衆を集め、有縁無縁の菩提を弔うため、最期の大施餓鬼を行う
◆宝永 6年(1709)
89歳 正月15日、病の床につき、2月1日「夢住軒」にて示寂す
 
丈巌慈航禅師、遺偈
   八十八年閑夢中      又加衰老一春風
   南華園裡随蝴蝶      遊戯翩々遶野叢

これは、宝永6年の歳旦の偈として、作られたものであるが、丈巌慈航禅師は同年1月15日より病床の身となり、2月1日に遷化したため、図らずも遺偈となった

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東海派下天縦門派宗派図

宗派図
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大池寺の写真集

蓬莱庭園 臨済宗 妙心寺派 大池寺
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