第二章 共通の大地
Ⅰ親しく近づいて
出会う
一つ一つ関係を問うていくわけです、今、善導様は頻婆娑羅王と韋堤希というご夫婦はどういうご夫婦であったかということを問うてみますと、ただ好きということで結婚したのではないのか。結婚する時はそう深く考えなかったが、今こういうことをとおして、自分たちの人生をもう一度問う。そのことをよく見てみると『宿縁行重くして』と善導様は見るのです。親しく近づいて一諸になったのです。今何億という男と女の中で、たまたまこの一人と一人が結婚したということは、ただごとではない。親しく近づいてただごとでないんだ、結婚したことは。それが忘れ去られ、自我愛によってつくられた家庭は家だけであります。屋根の下に豚が住んどる。家庭に中心がない。人がいない。自我の思いを通そうとするばかりの集まりになっているのです。
共通の大地
宗教の宗というのは屋根を示す。人間の心、中心ということです。人間の心を取り戻すということが、宗教の宗ということです。豚になってしまう家庭から人間の心を取り戻す、だから皆さんのところのお内仏は、家の一番大事な床の間の横に置いてあります。中心というのは何でしょうか。庭には大地があります。そこには色々なものが植わっています。つつじとか八手とか松とか。色々植わっていますが、生えている所は一つの大地です。共通の大地というのが家庭の中にあるのだろうか。自我愛ならば、一人一人は全部別々です。皆松ばかりになりたい人です。最近のお父さんは隅の方に居られますけど、場所がないんでしょうか。お華がご内仏に立っておりますのは、灯りをともすと、そこに光る大地がある。白色は白色で、赤色は赤色で光る大地があります。皆さんの家でいえば、子供は子供、妻は妻、夫は夫と色々な個性がある。色々な個性があっても、それぞれがそれぞれの個性のまんま、お互いが認めあって生活している、そこに本当の家庭があります。いつの間には頻婆娑羅王と韋堤希夫人の家庭は、子供の無いということから崩壊していく、自我愛を拠り所として。我々の人生の中にも、お子さんの中にも、自我愛を拠り所としている間に、思わぬ所から、いつも家庭崩壊の危機に晒されている。どうしたら本当の家庭を築けるのか、共通の大地とは何か、こういうことを禁父縁は教えてきていると思うのです。
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